働く仲間がいいと仕事は楽しい
どんな仲間と働くか それが大事。
仕事って、チームプレーだと思う。
一緒にがんばる仲間がいて、力を合わせたり、仲間を支えたり、
支えられたり、
そうやって一緒に達成するから、
やりがいがあるし、仕事自体が楽しくなる。
だから、どんな仲間と一緒に働くか、
それが大事だと思う。
「働く仲間がいいと、仕事は楽しい。」
INTERVIEW
吉田 頌将
仮設事業部/鳶工・管理職
(2024年中途入社)
父も建設業だったので、
自然に建設業を選んだ。
小さい頃から、現場は身近なものでした。父が土木工事の会社を経営していて、卒業後は自然な流れでその会社に入りました。でもその後、縁あって東京へ。転職を考えた時、「建設がいいな」と、自然と建設業界を選んでいました。
東輝建設を含めて3社受けたんですが、他の2社の面接は、息が詰まるような感じで重かったんです。でも、東輝建設の事業部長は、開口一番「まぁ、そんなに緊張しなくていいよ!」って、笑いながら声をかけてくれて。堅苦しくない、飾らない感じに一気に心がほぐれました。「この人の下で働いてみたい」って、素直にそう思ったんです。
できるようになるまで
向き合ってくれる先輩と
なんでも話せる同期。
実際に入社してみると、現場にはいろんな人がいました。大らかな人、せっかちな人、でもみんな根っこは優しくて、ちゃんと教えてくれる。中でも印象に残っているのは、すごく教え上手な先輩。まず自分がやってみせてくれて、そのあと僕にやらせてくれる。そしてできなかったところを丁寧に教えてくれる。そんな風に育ててくれる人がいるって、すごくありがたいなって感じます。
同期がいたことも心強かったですね。しかも、同じ野球経験者。似たような背景を持ってるから話も合うし、時には愚痴を言い合う時もあります。でも、「今日はちょっとキツかったな…」って時も、話すだけで少し軽くなれる。そんな仲間がいることがとても大きいし、毎日の支えになっています。
最初は本当にキツかった。
でも、少しずつできるようになる。
それが嬉しい。
でも最初は、想像以上に体力勝負でした。足場の材料って、ほとんどが手運びなんです。「この量を全部、自分たちで運ぶの?」って、本当にびっくりしました。野球で鍛えてたはずなのに、最初は本当にキツかった。でも、それだけに少しずつできるようになると、自分の成長を感じられるんです。東輝建設の現場には、何十人もの職人がいて、現場のスケールが大きいのも特徴。現場に立った時に見える景色が違うんです。「昔とは、全然レベルの違うところで働いてるんだな」って思います。実は僕、高いところがちょっと苦手で(笑)。オフィス街のど真ん中、10階建ての解体現場。あそこは本当に怖かった。解体だから足場もどんどん解体されていって、フルハーネスひとつで単管足場の上を歩く。「落ちたら終わりだ…」って思いながらの作業でした(笑)。六本木の超高層の現場は30メートル超え。僕は行ったことないですが、行ってる先輩たちは本当に尊敬してます。
街の中の、“当たり前”の風景に、
関わる仕事。
この仕事の一番の魅力は達成感ですね。作り上げたデカイ足場を見上げた時の「こんなに大きな足場を建てる作業に、自分も関わったんだ」という達成感は、ちょっと他では得られないですね。街の中に何気なくある建物や道路、そういった“世の中の当たり前”を作る一員になれている。それが、建設の仕事の面白さだと思います。
建設業は、君が考えるより、
きっと面白い。
現場で働いている人たちって人間味があって面白い人が多いんです。そんな人たちの中で、自分も背伸びすることなく、ありのままでいられる、そう感じます。もちろん厳しい面もあるけど、だからこそ仲間との絆も深まる。自分にできることをもっと増やして、事業部長や先輩を少しでも助けられるようになりたいですね。
今は事務所勤務に変わって、CADも勉強しています。発注や手配のこと、CADのこと、まだまだ勉強中ですが、現場のこと、図面のこと、建物の構造まで理解できる技術者になりたいですね。
私たちと一緒に働きませんか?
岡田 愛菜
解体事業部
(2024年新卒入社)
サポート役じゃなく、
“主役”として働きたい。
私は「一人のCADオペレーターとして、自分の担当を持ち、責任あるポジションで仕事をしていきたい」と思っていたので、そんな働き方ができる会社を探していました。でも実際に求人を探してみると、想像以上にCADオペレーターの求人は少なくて、仕事内容も、「CADオペの補助」とか「設計担当のサポート」といったいわゆる“サブ”的な立場の仕事で、給与も低めだったり、休日数が少なかったり。自分の理想とは違った求人ばかりでした。せっかく技術を身につけているのに、「どうして正社員として、主体的に仕事を任せてもらえる環境がこんなに少ないんだろう」と、悔しいような、もどかしいような気持ちになりました。
「ここなら、自分らしく働ける!」
そんな中で出会ったのが、東輝建設の求人でした。「CADオペレーター/正社員」という明確な職種で求人が出ていて、仕事内容も補助的なものではなかったので、“一人のオペレーターとしてプロジェクトに関わる”ことができそうだと感じました。さらに魅力的だったのは、残業が少なく、しっかりと有休も賞与もあるという点です。私は一人暮らしをするつもりだったので、寮があることにも惹かれました。「この会社なら自分がやりたい働き方ができそう!」と直感的に思いました。他の企業を見る前に、もう心の中では入社を決めていたような気がします。
「やりたかった仕事」のはず
なのに理想と現実の間で揺れた
日々。
入社が決まった時は、本当に嬉しかったです。「これから、自分の現場を持つCADオペとして、仕事を任せてもらえる」とワクワクしていました。けれど、いざ仕事が始まると、現実は想像よりずっと厳しかった。「本当に自分がこの現場を担当して大丈夫なんだろうか」という不安に、何度も押しつぶされそうになりました。分からないことが多すぎて、自分の力のなさに何度も落ち込み、「なんで自分はこんなにも出来ないんだろう」と自己嫌悪になる毎日。初めての一人暮らしの不安も重なり、布団の中で泣いてしまうこともありました。「自分には向いていないかもしれない」「もう続けられないかも」と思ってしまうほど、心が弱っていた時期もありました。
「一緒に訊きに行こう」
そのひと言が、私を救ってくれた。
そんな時、私を支えてくれたのは、気兼ねなく話せる同期や、優しく声を掛けてくれる先輩たち。ある日、思い切って先輩に、悩んでいる事、そしてみんなに迷惑をかけていて辛く感じていることを素直に打ち明けてみたんです。すると、その先輩は「分からないよね、難しいよね。俺も全部分かるわけじゃないから、一緒に訊きに行こう」と言ってくれて、その言葉を聞いた時、ふっと肩の力が抜けて、心がすごく軽くなったのを今でも覚えています。悩んでいたあの時、正解やアドバイスじゃなく、「共感してくれる誰かがいる」ことに私は救われたんです。その先輩が同じチームに居てくれたこと、そして私の気持ちに寄り添ってくれたことに、今でも感謝しています。
優しさが伝わってくる。
私はひとりじゃない。
普段は別の現場にいて、顔を合わせることが少ない先輩たちも、事務所で会うと、「大丈夫?最近どう?」と声をかけてくれたり、「仕事終わったなら寮まで車で送ってあげるよ」と気にかけてくれて、ここには温かい人たちが集まっているなって感じます。日々仕事をしている中で、「自分はこの職場の仲間としてちゃんと受け入れてもらえているんだ」と実感できる瞬間がたくさんあって、それが何より心強くて励みになります。
あの頃の自分を支えて
くれたように、
今度は後輩を
支えたい。
これからは私自身が、先輩たちにしてもらったことを、次の後輩たちに繋いでいきたいと思っています。入社したばかりで不安を抱えている人がいたら、声をかけて安心させてあげたいし、自分が経験した失敗や覚えてきたことを全部教えてあげたい。あのときの私のように悩む後輩がいたら、そっと寄り添ってあげられるような先輩になりたいです。
そして、帰省から戻る時に、毎回空港で泣きながら「頑張れ!」って応援してくれる家族に、楽しく働いている姿を見せて、少しでも安心してくれたらいいなと思っています。
私たちと一緒に働きませんか?
後藤 拓人
仮設事業部/鳶工
(2016年新卒入社)
アメフト部での絆が
教えてくれたもの。
大学生の頃の自分は、正直なところ、何も考えずにとりあえず大学へ通っているだけの状態でした。将来のことを考えず、就職活動も全くしていなかった。自分のダメなところだったんですけど、当時は「今が楽しければそれでいい」って感じでした。目的や目標がないまま過ごしていた学生時代でしたが、アメフト部の仲間と過ごす時間だけは特別でした。気の合う仲間たちと過ごす時間は、本当に楽しかった。チームとしてはまったく強くなかったですが、居心地がよくて。そのままの自分で居られる環境っていいな、と実感しました。
働かなきゃいけない。
わかっているけど、
やりたい事が見つからない。
正直、就職に関しては、「とりあえず、働けるなら何でもいいや」と思っていたのが本音ですね。「就職しなきゃいけない」とは思っていたけど、何かやりたいことがあるわけではなかった。どんな仕事が自分に合っているのか、自分は何を求めて働くのか、まったく分からなかったんです。当時の自分と同じように感じている学生も多いんじゃないでしょうか。でも、気がつけば、今年で入社して9年目になります。今こうして振り返ってみると、辞めていない理由は、現場で仲間と一緒に働いている時間が、アメフト部で過ごした日々と重なる部分が多いからかもしれません。みんな優しいし、よく喋るし、面白いんですよ。
鳶の職人は要領いい人が多いですね。作業効率を重視して、どうしたら現場を早く進められるのか、手間をどこまで減らせるかを常に考えながら動いている。
現場をスムーズに進めるためには、お互いの性格や考え方を知ることも大事なんですよ。一緒に仕事する職人同士の仲の良さは、仕事の効率や出来上がりにも繋がると思う。お互いの仲が深まると、仕事している時も楽しいし、休憩中もくだらない話で盛り上がったりしてます。
こうしたことって、大学のアメフト部で過ごした日々と似ているんです。そんな現場の雰囲気が好きですね。
後輩と一緒に、僕も成長していく。
僕は後輩に、ほとんど怒らないです。鳶の現場って常にせわしないので、わざわざ自分の手を止めて後輩に教えるのが面倒だと感じる人もいます。でも、僕はできるだけ教えるようにしています。教えている間、作業が一旦止まってしまっても、後輩が覚えてくれれば、それでいい。結果としてチーム全体のレベルが上がって効率も良くなるから、現場が早く終わると思う。それに、誰かに教えることで、僕自身も必ず学びがあるんです。仕事のやり方を共有していくことで、チーム全体で仕事のやり方を考えたり、一緒により良くしていけると思うんですよ。だからこそ、僕はこれからも、仲間との関係性をいちばんに考えていきたいです。
私たちと一緒に働きませんか?
佐々木 龍太
リニューアル事業部/防水班
(2020年中途入社)
僕の高校は、工業高校だったので、求人も現場監督や、職人系が多かったですね。だから自分も、なんとなく現場監督か、職人になるんだろうなと思っていました。そして、卒業後ゼネコンに入社して、新築工事の現場監督になりました。入った現場は、とんでもなくデカくて、仕事もめちゃくちゃ忙しかった。朝7時に現場へ行って、帰宅が23時とか、本当に大変でした。おまけに年配の職人が怖いんですよ。自分は新人で何もわからないのに、「おい!」って呼ばれて怒鳴られて、そして職人から言われたことを先輩へ報告しないといけないんですけど、先輩からは「職人にこう言って来て!」って返されて。両方を伝書鳩みたいに行ったり来たりして、また怒鳴られる毎日。どうにも気持ちが続かなくなって、1年で辞めました。
以前から、東輝建設で一緒にやろう!って誘ってくれていた友人をきっかけに、入社したのが6年前です。当時の東輝建設(リニューアル事業部)には自社の職人チームがなかったので、最初は現場監督をやっていましたが、その後すぐに防水の職人チームを作ることになったので、防水班へ異動しました。それからは、ずっと防水班で職人を続けています。
教え続けてくれた親方と、
しがみついて掴んだ仕事の
楽しさ。
防水のことを右も左も分からないところから、今の親方に育ててもらいました。自分が何度失敗しても、親方は決して見放さなかったし、その度に同じことも繰り返し教えてくれました。自分も、そんな親方に必死にしがみついていった感じですね。1年後くらいにようやく、「次はこの作業をやるからこれが必要だ」とか、「これも用意しておいた方が良い」とか予測して動けるようになってきて。先輩たちから、「お!わかってんじゃん!」とか、「早くなったな!」って言われるようになって、めちゃくちゃ嬉しかったです。自分のやっている作業が、現場の役に立っている、という実感が持てたことで、防水の仕事にのめり込んでいきました。
失敗しても、悩んでも、
それでも前を向けたのは。
ある程度、防水の作業ができるようになるまで、ずっと悩んでいたように思います。「どうしたら親方のようにできるようになるのか?きれいに仕上げられるのか?」がわからないんですよ。でも仕事は待ってくれない。分からないのに「やってみろ」って言われて、自分に自信がないままやるから緊張する。緊張すると、作業スピードが遅くなったり、段取りが抜けたりしやすいんです。そのミスを指摘されて落ち込む。この繰り返しでした。でも、親方が熱意を持って教えてくれている事が分かるので、前職みたいに嫌気がさすことは無かったですね。親方のことは、「この人に認めて貰いたい!」ってずっと憧れています。認めて貰うには、もっと色んなことを覚えて、日々技術を磨くしかない。自分から「ここやってみてもいいですか?」って、やらせてもらう。。「違う、こうだ」とやってみせてもらう。そして、また自分でやってみる、その繰り返し。そうやって一つ一つ身に着けていきました。親方の思考、親方ならどう考えて、どうやるかを、常に考え、真似をしていました。
分からないって言えなかった。
だから、何度でも教えたい。
職人になったばかりの頃の自分は、分からなくても「分からないです」って言えなかったんです。真剣に作業をしている先輩の邪魔になるし、何より、分からない自分が恥ずかしかった。だからこそ、新しく入ってきた後輩には「分からない事を分からないと言うことは、恥ずかしいことじゃない」、「何回でも教えるし、説明するから、分からない時は言って!」と必ず伝えています。「次もまた訊けばいいや」っていう意識では困るけど、技術を身に付けたいとか、腕を上げたい気持ちで自分に訊いてくれるのは全く問題ないです。後輩に教えるの好きだし、後輩が出来るようになっていく姿を見るのが楽しいですね。防水チーム全員でレベルを上げていけたら最高です。そして、自分自身もまだまだ勉強中だし、親方は知識の量や経験した場数の桁が違うので、これからも親方の背中を追っていきます。目標で有り続ける、そんな親方に出会えたことが嬉しいし、現場で一緒に仕事ができる。今、楽しいですね。
私たちと一緒に働きませんか?
小林 紗菜
解体事業部
(2024年新卒入社)
ガレージにバイクがズラリ
こんな会社あるんだ!
社会人になる自分を想像した時、“東京まで毎日通勤するのは、正直しんどいな”とまず思いました。朝早く家を出て、満員電車で何時間もかけて通勤する毎日を想像するだけで、気が滅入ってしまって…。だから、できれば実家から無理なく通える場所で、長く働ける会社を見つけたいと思っていました。そんな時、東輝建設に興味を持ち、見学へ行ってみると、社員の皆さんの趣味のバイクが会社のガレージにずらっと並んでいるのを見て、テンションが上がりました。私は、昔からバイクが大好きで、「こんなに自由で、楽しそうな会社があるんだ!」って、驚いたんです。
全然イメージと違った。だから、さらに惹かれた。
正直、それまで私の中での“建設会社”のイメージって、オフィスは暗くて雑然としていて、職人気質の怖いおじさんたちが怒鳴り合っているような、そんな世界なんじゃないかと勝手に思っていたんです。でも、実際に足を運んでみた東輝建設の社内は、明るく開放感のある空間で、笑顔で挨拶をしてくれる女性社員の方もたくさんいて。それぞれが楽しそうに、そして誇りを持って仕事をしている姿を見て、「自分が思っていた建設会社のイメージとは全然違う!」と、強く心を動かされました。自分が想像していた“建設会社”とのギャップと、働く人たちの自由で爽やかな雰囲気に惹かれたんだと思います。
“裏方”だけど、
現場を動かす誇りがある。
入社してからは、CADオペレーターとして日々図面に向かっています。建設業なので、現場作業が表舞台で、私たちは裏方の立場。夏の暑さの中で汗だくになったり、雨に打たれて泥だらけになったりすることはありません。でも、その裏方の仕事が、確かに現場で役に立っていると感じられる瞬間があるんです。初めて担当した現場に行って、自分が描いた足場の計画図がそのまま現場でも使われていて、実際に足場が組まれているのを見た時のあの感動は、今でも忘れられません。「私の図面が信頼されて、こうしてカタチになっているんだ」って。そんな経験ができるって、本当にありがたいし、ちょっと誇らしいです。
最初は全然通用しなかった。
だけど、少しずつできることが
増えていった。
思い返すと、入社当初の私は、自信なんてまるでなくて、自分に何の価値もないように感じていました。高校を卒業したばかりで、社会人としての常識もなければ、CADの知識も仕事で通用するレベルではなくて。学校で使っていたのはSOLIDWORKSで、今使っているAutoCADには全く触れたことがありませんでした。「こんな何もできない自分が、ここでやっていけるのかな…」って、毎日不安ばかり。でも、そんな私に、一つ一つ教えてくれた先輩たちがいてくれたから、少しずつ理解していくことができたし、段々と、できることが増えてきたんです。
図面を描くだけではない、
“役に立つ”ということ。
私は昔から、「早く仕事を覚えて、誰かの役に立ちたい」という思いが強いタイプです。でも最近気づいたのは、チームの役に立つって、必ずしも“図面を早く、正確に描けるようになること”だけじゃないということ。たとえば、「この書類、届けておきましょうか?」と自分から声をかけてみることだったり、「ありがとうございます!」と、先輩が手を貸してくれた時に気持ちよくお礼を伝えることだったり。そんな小さな気遣いや心配りも、チームにとって大事なことだと思うんです。図面じゃない部分でも、「自分からチームに貢献できた」「自分もチームの一員として頼られている」と思えるようになってきて、少しずつ成長できてるなって実感できる日が増えてきました。
いつか言われたい、
「小林なら大丈夫」のひと言。
この1年を振り返ると、「何もできない自分」だったところから、少しずつでも「自信が持てる自分」に変わってきたと思います。だから今は、「小林が担当なら大丈夫」と先輩たちに笑顔で言ってもらえるような、そんな存在になりたい。新しい現場にもどんどんチャレンジして、もっともっと自分の幅を広げていきたいです。
“やってみよう”が合言葉。
仲間と描く夢。
私にはちょっとした夢があるんです。地下に好きな車やバイクを並べたギャラリーがあって、全フロア吹き抜けの自社ビルを建てたいなって、思っています。そんな夢みたいなこと、実現できるの?って言われそうだけど、不思議と、叶う気がするんです。だって、東輝建設の解体事業部には、どんな夢でも「面白そうだね、やってみよう!」って言い合える仲間が揃ってるから。
私たちと一緒に働きませんか?
福田 亘紀
解体事業部/解体工
(2024年中途入社)
何も持っていなかった僕が、
現場で見つけたワクワク。
解体工事って本当に色々な作業があるんですよ。使う道具も多いし、新しく覚えることばかりです。見たこともなかった道具を見るのもワクワクするし、「この道具はこうやって使うんだ」って教えてもらって、自分でもやってみて、「なるほど!」ってなって、ひとつひとつが新鮮で、発見の毎日。今、めちゃめちゃ楽しいです。それから、先輩たちと集まって「この作業にはこの道具が必要だ」とか、「この日までに次の工程にいくには、どうすればいいか」とか、工事の進め方をみんなで決めていく。そんな話し合いを聞いているだけでもすごく面白いし、楽しいんですよね。
始まりは偶然、
続けられたのは仲間の存在。
親戚が少年ラグビーチームのコーチをしていて、知り合いだからってだけでラグビーを始めることになったんです。高校の時に、小学校からのチームメイトが偶然同じ高校に集まって、昔からずっと一緒にやってきたメンバーだから試合や練習も楽しくて、あの頃はめちゃくちゃ面白かったですね。ただ、あの頃ってバリバリの縦社会で、先輩からの理不尽な事にも我慢しなくてはいけなかった。それが本当に嫌だったし、「自分たちの代からは理不尽なことは絶対やらない。悪しき風潮を変えたい」という想いは、仲間全員が一致していました。学年対抗試合の時、みんなで「上の学年に圧勝しようぜ」って団結して、本当に圧勝したんです。超気持ちよかったですね(笑)
その後、大学、社会人までラグビーを続けたんですけど、右肩のケガで1年程ラグビーから離れることになって、すっぱり辞めました。青春もすべてラグビーに捧げてきた自分の中で「ゴール」に着いた感じがしました。未練はないですね。
「このままでいいのか?」
先輩の姿に将来の自分を重ねた。
新卒で入った会社は、ラグビーをやるために入ったんです。なのでケガでラグビーを離れている期間「仕事」だけに注目してみると、完全な年功序列で担当エリアで成果を上げても給与にはプラスされない。やればやっただけ損な会社でした。人間関係はとても良かったけど、同期や先輩が「そんなにやらなくていいよ、やっても損だから」って言っている姿にモヤモヤする自分がいました。そんな30代の先輩を見て、自分もこんな感じになるのかって思った時に、全然楽しくなくて、残念というか、ガッカリして、このままこの会社にいるのは良くないと思って転職を決意しました。
真面目って言われるけど、
楽しいからやってるだけなんです。
未経験で入って、最初は分からないことばかりで、当たり前なんですけど誰も僕に作業を任せてくれないのが悔しかったです。道具の名前を覚えたり、自分の担当ではない作業も見に行ったりして、できる作業を増やしていって、少しづつ任せて貰えるようになりました。大事なのは積み重ねだと思ってます。見て覚える。知らなかったことを知る。こういうの楽しいんです。できるだけ現場に出るようにしていました。
今、小さい重機に乗って作業をしていて。まだ下手くそなんですけど、自分は体で覚えたいんです。動作を手に馴染ませたい。だから休憩時間も時々練習しています。そうすると「真面目だね」って言われたりするんですけど、自分は早く身に付けたいし、体に馴染んでいくのが楽しいからやっているだけ(笑)ちゃんと自分を見てくれていることが伝わって嬉しいんですけど、実力で認めてもらえるようになりたいですね。
目指すは、現場を任される自分。
ラグビーに熱中していた頃と同じで、今すごく仕事に夢中になってますね。毎日が楽しいし飽きないです。5年後くらいには職長になっていたい。一つでも現場を任せてもらえるくらいになっていたいですね。その先は、重機オペレーターを目指しています。事業部長や部長は、僕に現場監督になって欲しいと考えてくれているみたいで、「オペになるならクビ!(笑)」って冗談を言われます。まだまだ知らないことがあるし、取りたい資格もたくさんあるので、今のところ、自分は出来るだけ現場に出ていたいです。
私たちと一緒に働きませんか?
INTERVIEW